生い立ち①幼少期~不仲両親~

生い立ち

はじめに

こんにちは、風の子です。

当ブログは、母との共依存関係に気づいた私が、その脱却に向け奮闘する様を記録しています。

今回は、母との共依存関係が作り上げられた原因を探るため、

私の生い立ち(幼少期)について振り返っていきたいと思います。

不仲の両親

私が小さいころから、両親は不仲でした(離婚はしていない)。

物心がついたころから、両親は喧嘩をしており、両親が仲の良いところを見た記憶はありません(汗)。

 

子供が小さい頃は、目の前で喧嘩はしないように一応配慮していたのか、

私達子供(兄、私、妹)が2階の寝室へ行き寝静まった後、両親は1階で怒鳴り合いの喧嘩をしていました。

しかし、子供は気づくもので、親の怒鳴り合いの声に反応して起きてしまいます

ここで、私の幼少期ナイトルーティーンをご紹介します!(笑)

 

2階へ寝に行き布団のなかでウトウト

→1階から聞こえる両親の怒鳴り声で起きる

→階段の途中まで降りて、両親の様子を息を潜めて見守る(時々兄妹も出てきて集う)

→両親は怒鳴り合ったり、時には物を投げ合い大喧嘩!!

→ことの顛末をばれないように見守る(私の心は極度の緊張状態)

→途中で心が耐えられなくなり寝床に戻り、布団を頭まで被り、両親の声が聞こえないようにシャットアウト

怖くて泣き、疲れて寝る

今振り返ると、結構切ないナイトルーティーンですね(汗)。

これを繰り返すうちに、私には大人の大きな声が脅威となり、

常に過緊張状態でビクビクするように育ちました。

保育園でも、先生が怒りそうな雰囲気をいち早く察し、察した時点で怖くて泣いてしまう(しかも怒られるのは私ではなく他の子)ように。

ここで世間での「いい子」な私が完成したのですね。

まとめ

今回は、私の生い立ち(幼少期)について振り返ってみました。

両親の喧嘩に日々曝されるなかで、常に過緊張状態かつ「いい子」であろうとする私が作りあがったことがよくわかります。

ここから、どう母との共依存関係につながっていくのか、

次回は生い立ち(青年期)における、母の絶対的聞き役に成長するまでを振り返りたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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