生い立ち④結婚後~夫婦仲悪化と母子共依存~

生い立ち

はじめに

こんにちは、風の子です。

当ブログは、母との共依存関係に気づいた私が、その脱却に向け奮闘する様を記録しています。

今回は、母との共依存関係が作り上げられた原因を探るため、

私の生い立ち④(結婚後)について振り返っていきたいと思います。

生い立ち③については、以下の記事で紹介していますので、良ければ先にご確認下さい。

社会人

大学生を卒業し、私は関東圏に就職しました。

実家からは少し近くなったものの、それでも高速バスでないと帰れないような距離でした。

社会人になりたての頃は、仕事やプライベートが忙しかったこともあり、

帰省する頻度や、母との距離感も大学時代と変わらなかったように思います。

結婚を機に地元へ帰る

関東圏での社会人を数年経験し、私は結婚を機に地元へ帰ることとなりました。

地元といっても、実家からは高速バスで2時間弱かかる場所で、今までと距離感は変わらないだろうと考えていました。

しかし結婚後、夫と上手くいかないようになると、私は再び母に依存していくようになるのでした。

夫婦関係悪化

結婚後、夫との喧嘩が起こるようになると、

なんで夫は何もわかってくれないの!絶対に夫は間違っている

と激しく思うようになり、それと同時に

母だったら絶対にわかってくれるし、私の方が正しいことが証明できる!

と考えるようになってしまいました。

これまで多少の距離感の違いはあれど、母とはベースはずっと共依存関係性だったのです。

私が母にとっての絶対的な聞き役だったのと同時に、母も私にとっては絶対的に聞き役であり、

お互いの中で強固に共感を強いる関係性でした。

そのため、これまでの共感の仕方が当たり前だと思っていた私は、

夫の歯に衣着せぬ物言いや、共感性の低さ、価値観の違い全てが受け入れられませんでした

また、今まで母に対し完璧な傾聴と共感をしてきた私は、

無意識に「なんで同じようにしないんだ!」と昔の私の役割を夫に支配的に強いていたのです。

今思うとこれが”支配の連鎖“ですよね(汗)

この支配の連鎖を起こそうとしていた私によって、夫婦仲はさらに悪化していきました。

居心地の良い母のところへ戻ってしまう

夫婦仲悪化により家での居心地が悪くなってしまった私は、頻繁に一人で実家に帰るようになっていきました。

そこで、夫の愚痴を今度は私が母に垂れ流し共感してもらうことで、

私は間違っていない!」と自分を安心させ、夫を”“に仕立て上げることで

心の安定を図るようになってしまいました。

また、自分の愚痴をたくさん聞いてもらったり、喧嘩した時などに実家に帰らせてもらっている

母への負い目もあり、私はさらに母の話を一生懸命に聞くようになりました。

夫と上手くいかず居場所を失った私は、母との関係性に自分の役割と居場所を見出し

とにかく必死で母にとっての「いい娘」であろうと努めるようになったのです。

そんな私を見て、夫に

あなたは母子密着だよ。僕たちには僕たちの家庭があることを忘れないでね。」

と言われたことがありましたが、私は言っている意味を深く考えず、

母との共依存関係を悪化させていくのでした。

まとめ

今回は、私の生い立ち(結婚後)を振り返ってみました。

結婚後、夫に対し共感を強いるという支配をしていたこと

また、夫の愚痴を母に垂れ流し、共感してもらうことで、夫を”悪”に仕立て上げていたこと。

こうしてみると、私は昔の母と、全く同じことをしていたのですね。

よく”毒親は連鎖する“と言いますが、自分のしてきたことを振り返ると本当にその通りで恐ろしいです。

次回は、母との共依存関係が再び強固となった私が、出産を機にその異常性に気づくまでを振り返りたいと思います。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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